
竈山神社(かまやまじんじゃ)は、和歌山県和歌山市内に鎮座する神社である。式内社で、旧社格は官幣大社。釜山神社と表記されることもあった。
神武天皇の長兄である彦五瀬命を祀る。本殿の裏に彦五瀬命のものとされる墓がある。

彦五瀬命は神武天皇ら弟たちとともに東征に向かったが、難波の白肩津での長髄彦との戦闘で負傷した。太陽に向って戦うのは良くないとして、東から回り込むために一行は南下したが、その傷が元で、紀国の男之水門に着いたところで彦五瀬命は亡くなった。紀伊国竈山に墓が作られたと『古事記』にある。『紀伊続風土記』によれば、当所がその竈山の地であり、墓が作られてすぐに、側に神社が作られたとある。
延喜式神名帳では「紀伊国名草郡 竈山神社」と記載され、小社に列している。
「釜山神社神主職宛行状」(日前宮文書)によれば、永徳元年(1381年)、紀国造家によって鵜飼新五郎が神主に任ぜられた。以降、鵜飼家が神職を世襲していたと見られる。
天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州根来衆攻めにより社宝・古文書を焼失し、社領も奪われて荒廃した。慶長5年(1600年)、紀伊国に入国した浅野幸長が小祠を再建し、寛文9年(1669年)、徳川頼宣が社殿が再建した。しかし、江戸時代を通して寺社奉行の支配下に置かれ、氏子も社領もなく衰微していた。
明治に入り、宮内省管轄の彦五瀬命墓と、竈山神社は正式に区分され、近代社格制度のもとで明治14年(1881年)に村社に列格したが、神武天皇の兄を祀るという由緒をもって社殿が整備され、明治18年(1885年)には官幣中社に、大正4年(1915年)にはついに官幣大社に進むという異例の昇格をした。村社から官幣大社まで昇格したのは当神社が唯一の例である。現在は神社本庁の別表神社となっている。
延喜式神名帳では「紀伊国名草郡 竈山神社」と記載され、小社に列している。

天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州根来衆攻めにより社宝・古文書を焼失し、社領も奪われて荒廃した。慶長5年(1600年)、紀伊国に入国した浅野幸長が小祠を再建し、寛文9年(1669年)、徳川頼宣が社殿が再建した。しかし、江戸時代を通して寺社奉行の支配下に置かれ、氏子も社領もなく衰微していた。
明治に入り、宮内省管轄の彦五瀬命墓と、竈山神社は正式に区分され、近代社格制度のもとで明治14年(1881年)に村社に列格したが、神武天皇の兄を祀るという由緒をもって社殿が整備され、明治18年(1885年)には官幣中社に、大正4年(1915年)にはついに官幣大社に進むという異例の昇格をした。村社から官幣大社まで昇格したのは当神社が唯一の例である。現在は神社本庁の別表神社となっている。

6月30日 夏越大祓式
10月13日 例祭

和歌山電鐵貴志川線 竈山駅下車、徒歩10分。

所在地
和歌山県和歌山市和田438
主祭神
彦五瀬命
社格等
式内社(小)・官幣大社・別表神社
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第7番 藤白神社
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第9番 根来寺