一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第26番。山号は法華山、本尊は聖観音菩薩である。

寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。

一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。

法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。

創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。

一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。

山間に位置する境内は長い石段が続き、数段に分けて整地されている。バス通りに面した境内入口には山門はなく、正面に石造笠塔婆(県指定文化財)が立つ。その左方には宝物館(平素は非公開)と本坊の地蔵院がある。右方は公園風に整備され、太子堂、放生池、やや奥まったところに見子大明神の社がある。

境内入口から最初の石段を上った狭い平地の左手に常行堂があり、次の石段を上ると左手に国宝の三重塔、右手に法輪堂(経蔵)がある。三重塔の直上、さらに階段を上った位置に懸崖造の本堂が建つ。このため、本堂の縁に立つと三重塔を見下ろすことができる。本堂裏手には鎮守社の護法堂、妙見堂、弁天堂(以上重要文化財)、行者堂があり、本堂からさらに200メートルほど登ったところに法道仙人を祀る奥の院開山堂が建つ。

本堂(重要文化財) - 大悲閣または金堂とも称する。入母屋造、本瓦葺き、正面9間、側面8間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を示す建築用語)。斜面にせり出した懸造とし、内部は広い外陣と、閉鎖的な内陣、脇陣、後陣からなる、密教仏堂の典型的な平面をもつ。札所寺院として、参拝者用の空間である外陣を広く取っており、外陣天井には巡礼者の打ちつけた木札が大量に残る。『法華山諸堂記』の記載により、寛永5年(1628年)、藩主本多忠政の援助で再建されたことがわかる。内陣には三間の大厨子を置き、中央の間に本尊聖観音立像(重要文化財)、左右の間には不動明王と毘沙門天像を安置するが、いずれも秘仏である。厨子外の左右には二十八部衆と風神・雷神像を安置する。堂は1998年の台風で大きな被害を受け、1999年から2009年にかけて災害復旧を兼ねた半解体修理が行われた。
 銅造観音菩薩立像(重要文化財) - 秘仏本尊像は像高72.7cm、お前立ち像(現在は宝物館に安置)は80.3cm。いずれも飛鳥時代末 - 奈良時代初(7世紀後半)の金銅仏。直立した姿勢、素朴な顔貌表現、緻密に表現された装身具などに特色がある。秘仏本尊像は、2009年11月1日 - 30日及び2010年5月11日 - 30日、22年ぶりに開扉。
三重塔(国宝) - 伏鉢(屋根上、相輪の下部にある半球状の部材)の銘から、承安元年(1171年)の建立と判明する。平安時代にさかのぼり、建立年代の明らかな塔として日本でも稀有のものである。塔身部の逓減率(初重から三重に向かって小さくなる率)の大きいことが特色である。

・常行堂
・ 護法堂(重要文化財) - 本堂裏手、石段上に建つ、一間社春日造の社殿。鎌倉時代。
・ 妙見堂(重要文化財) - 本堂裏手に建つ、三間社流造の社殿。室町時代。
・ 弁天堂(重要文化財) - 妙見堂の左に並んで建つ、一間社春日造の社殿。室町時代。
・ 太子堂
・ 鐘楼
・ 宝物館 - 境内入口左手にある。公開は年に2日、4月4日と11月5日のみで、それ以外の拝観は事前の許可が必要。

国宝
三重塔
絹本著色聖徳太子及び天台高僧像
平安時代、11世紀の作。各図とも縦128.8cm、横75.8cm。龍樹、善無畏(以上インド)、慧文、慧思(南岳大師)、智顗(天台大師)、灌頂、湛然(以上中国)、最澄、円仁(以上日本)の高僧像に聖徳太子像を加えて10幅としたもの。聖徳太子は天台宗で重視する法華経の信奉者であったことに加え、慧思(南岳大師)の生まれ変わりとする伝承があることから、加えられたものとみられる。各像とも人物が画面一杯に大きく表され、着衣などの彩色が鮮やかで、立像・坐像、正面向き・斜め向き、横向きなど、変化に富む点が特色である。着衣の文様は彩色のみで表され、截金を一切用いていない。善無畏像と慧文像は東京国立博物館、灌頂像は大阪市立美術館、他の7幅は奈良国立博物館に、それぞれ寄託されている。

重要文化財(国指定)
・金堂(大悲閣、本堂) - 解説は前出。
・護法堂
・妙見堂
・弁天堂
・石造五輪塔 - 鎌倉時代、元亨元年(1321年)の銘がある。境内入口の石段下の右手奥にある。
・絹本著色阿弥陀如来像
・絹本著色五明王像
・銅造観音菩薩立像 2躯 - 秘仏本尊像とその前立ち像。
・銅造観音菩薩立像 1躯 - 像高48.0cm。7世紀にさかのぼる古像。頭部を大きく、手足を小さく造るプロポーションに特色がある。
・木造法道仙人立像
・木造僧形坐像

県指定文化財
・鐘楼 - 江戸時代初期
・石造宝塔2基 - 鎌倉時代末期 。奥の院への参道の右手に立つ。
・石造笠塔婆 - 鎌倉時代末期、正和5年(1316年)。境内入口に立つ。
・三重塔古瓦

市指定文化財
・石造九重塔 - 奥の院開山堂のさらに上方、「賽の河原」にある。

JRおよび山陽電鉄 姫路駅から神姫バス「71 法華山一乗寺・別府経由 社」行きで35分、法華山一乗寺下車。
姫路駅から「71 別府経由 社」行きで30分、法華山口下車徒歩30分。
北条鉄道 法華口駅から神姫バス「71 法華山一乗寺経由 姫路駅 」行きで11分、法華山一乗寺下車。
JR宝殿駅から「北条」行きで三口下車徒歩40分。
JR大阪駅桜橋口から中国ハイウェイバス(西日本ジェイアールバス・神姫バス)「北条バスセンター」行きで70分、アスティアかさい(北条町駅)下車。
アスティアかさい(北条町駅)から神姫バス「高砂」行きで20分、三口下車徒歩40分。


所在地
兵庫県加西市坂本町821-17

宗派
天台宗

本尊
聖観音菩薩

開基
伝・法道仙人